ハリー・オードはマザコン
- 2007/03/16
- 06:58
母は全てを奪う(∀ガンダム/富野由悠季) ― PSB1981の日記
なるほどなー。
psb1981氏の分析は私からすると「なんかずれてるんじゃないか」っていう部分も多いのだけれど、それも含めて私には無い視点が多くて面白い。
ディアナ・ソレルという存在を際限なく包んでくれる『母性』の象徴であると考えると、前半のオープニングで関係を匂わせていたハリー・オードとローラ(女装した主人公)にまったくフラグが立たなかったのも納得できる。
ハリーは自分との関係を求めるキエル・ハイムに「自分が仕えるのはディアナ・ソレルだけだ」と言っている。
しかしキエルが『ディアナ・ソレルという母親』を引き継いだ後は、ディアナには目もくれずキエルの恋人に収まっている。
つまり彼の言う『ディアナ・ソレル』とはディアナ個人のことではなく、『ディアナ・ソレル』という『母性』なのだ。
これは「『母親』ではないと愛せない」と言ってるのと同じようなもんじゃいか。
これではローラとのフラグが立つわけがない。
しかし、富野監督が何かしらの関連を持たせようとし、劇中でもハリーがローラに対して何らかの感情を抱いていたのは事実。
最初はローラの中に『母性』を見たのかとも思ったけど、もしかしてハリーはローラというかロランの中に『父性』を見出したんじゃないだろうか。
何しろディアナの恋人(じゃないとしても、数居る『子供』の中から特別に選んで貰えている)になるぐらいの『父性』の持ち主だし。
その『父性』にハリー・オードは憧れのようなものを抱いたのではないだろうか。
『母親』に『男』として見られたい(ただし立場は『他人の男』ではなく『子供』のままで)のだから、そのためには『母親』に『男』として見て貰える程度の『父性』が必要だろう。
彼がやたらと大人ぶった物言いをするのは、そういった『母親』に認められたいという思考からくるものかも知れない。
観てから結構時間も経っているので記憶もあやふやになっているので、微妙に勘違いしてる部分もあるかもしれないけど、こういう視点からの見かたは面白い。
う~ん、また∀ガンダムが観たくなってきました。
最近、自分の思考の展開に限界を感じてきていたところなので、これでまた一つ新たに世界が広がった感じです。
今までは作品を機械と捉えて、その機械の中で個々の歯車がどういう役割を果たしているのかを見てきました。
しかし、それではどうしても機械を動かす役には立っていない・・・かといって飾りではないように思える歯車が見付かるんですよね。
特に富野作品はそういう使い道の分からない歯車が多くて困っていたんですが・・・
つまり、それは作者の理念とか思想だったんだなぁ。
ちなみにnuryouguda氏が同じはハリー・オードについてまったく逆方向の意見を出しているのが面白いです。
ちなみにここからはガンダムと関係ない話ですが。
この『母性』と『父性』という考え方を自分自身の作品にも重ねてみたところ・・・
・・・うわぁ
なんていうか、物凄くえらい事になってます。
一言で表すと『マザコンにも程がある』って感じです。
世界が『母親』を中心としてその庇護下で動いているとか、『父親』から『母親』を取り戻す話であるとかはまだ笑い話に出来たんですが・・・
更に踏み込んでしまうと本当に笑いごとじゃありません。
それを自覚してしまった今、これが今後作品にどういう影響を与えるのか楽しみなような恐ろしいような。
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