なぜ日本の東と西で電気の周波数(Hz)が違うのか?
- 2011/03/24
- 08:54
東の方は計画停電が始まって、色々なところに支障が出ているみたいですね。
そこで誰も疑問に思うのが『西側で発電した電気を東に持っていくことはできないのか?』ということ。
結論から言えば、これは『可能ではあるが限界がある』らしいです。
周波数変換設備が変換できる電力に限界があって、一定以上の電力を東に送ることはできない模様。
つまり西の方で節電しても停電している地域を救う役には立たないわけです。
そもそも西と東では電力のHz(ヘルツ)が違います。
西は60Hz、東が50Hz。
このヘルツ(日本語では周波数)というのは、この場合における意味は『交流の電気が+の-が一秒間に変わる回数』という意味です。
この交流電気を電線で家庭に引き込み、電子機器で+と-の向きが同じ直流電気に変換して使用しています。
では根本的な問題としてどうして西と東でヘルツ数が違うのか。
それは明治初期に日本が海外から電気に関する技術を輸入した時に、東京はドイツ製の50Hzの発電機、大阪はアメリカ製の60Hz発電機を輸入したからです。
話は50Hzと60Hzの発電機が登場する前に遡ります。
まず東京電燈会社(現在の東京電力)が1887年(明治20年)、発明王エジソンの会社であるエジソン電気照明会社が造った直流電気をそのまま送るエジソン式直流発電機を輸入。
それに対抗する形で1889年(明治22年)大阪電燈会社(現在の関西電力)は、当時エジソンのライバル会社であったトムソン・ヒューストン社と契約して125Hz発電機を購入したのです。
これが日本発の交流式発電機となります。
1888年には直流式と交流式、電灯の電力にはどちらの発電機が優れているかで東京電燈会社と大阪電燈会社の間で交流・直流論争が起こり、その際に東京は直流、大阪は交流を支持しました。
そんな風に一度は交流式発電機を否定した東京電燈会社でしたが・・・。
時代の変化と共に電力需要が急増、直流発電では発電が間に合わなくなった東京電燈は、直流式から交流式に切り替えることを決断します。
1893年(明治26年)に着工、1897年(明治30年)に完成した浅草の火力発電所にはドイツのアルゲネ社製50Hzの交流発電機が採用されました。
この発電機は1895年(明治28年)に購入を決定したそうです。
実はこの浅草の発電所には石川島造船所(現IHI)が造った国産の交流発電機『国産1号火力発電設備』も設置されていました。
この発電機は100Hz、当時としてはかなりの大容量。しかし残念ながら故障が多かったそうです。
一方の大阪電燈会社。
1897年(明治22年)、大阪電燈会社は幸町発電所にアメリカのゼネラル・エレクトリック社の60Hz発電機を導入。
ちなみにこのゼネラル・エレクトリック社はライバル関係であった、エジソン・ゼネラル・エレクトリック社(エジソン電気照明会社を吸収してできた会社)とトムソン・ヒューストン社が合併したものだったりします。
幸町発電所ではトムソン・ハウストン社製の125Hz発電機を使用していたのですが、この発電所を増設をしようとした際、トム・エレクトリック社が合併してゼネラル・エレクトリック社になっていた為に、そのままその流れでゼネラル・エレクトリック社の60Hz発電機を購入することになったみたいです。
それまで西側の交流発電機のヘルツ数はバラバラでしたが、神戸・京都・名古屋にある会社も次々とゼネラル・エレクトリック社の60Hz発電機を導入。
これにより西側は60Hzへと統一されていきました。
これが東西で電気の周波数が違う理由です。
東京と大阪が50Hz・60Hzの発電機を導入したのは殆ど同時期。
当時は欧米各国が日本を自分の顧客にしようとシノギを削っていた時期であり、二つの会社が別々の発電機を使っていたのは珍しいことではありませんでした。
何しろ東京電燈自身も大阪電燈自身も他のHzの発電機を併用しているし、他の電力会社だってバラバラの発電機を使っています。
それがその後にアメリカの発電機が60Hz、ロシアの発電機が50Hzに統一されたことにより、日本はその煽りを受ける形で東西で電気の周波数が分かれることになったみたいです。
その後、何度か周波数を統一することが提案されましたが、戦争やコストの問題などがあり現在も違うままのようです。
そこら辺の詳しい事情についてはまた後日、気が向けば調べてみたいと思います。
・・・なんかもう今回、読むページによって書いてあることがバラバラだったり勘違いしてたりで纏めるのが大変でした。
▽参考資料▽
・放課後ホンネの日本史 連載第57回『なにわの近現代史Ⅱ 電燈の黎明』(注意:PDF)
・電化の歴史
・周辺知識編:駆動機(番外編:周波数)
・第1節 エネルギー資源の利用
・調査報告書Ⅲ(H12.7.31.作成)「電気事業の創始から公益事業体制の確立-九電力会社の誕生まで-」
・IHI - Wikipedia
・国産第1号電気モータや発電機はどれか(注意:PDF)
・電気 ‐ 通信用語の基礎知識