コメント
初めまして。
∀の感想からこちらに興味を持ち、色々と拝見させて頂きました。
個人的には、日本人がロボットに対して楽観視していられるのは、
ロボットと言えば海外SFを日本の子供向けに噛み砕き昇華してみせた
アトムやドラえもん、ガンダムといった人形だからなのだと思っています。
言ってしまえば妖精やドラゴンのような漫画、アニメの中の空想の産物であり、
ロボット工学というのもそれを再現する道楽程度にしか
捉えていないのではないでしょうか。(まあ趣味的な要素が大きいのは確かなのですが)
一方、欧米人がイメージするロボットというのは
新しい人類、種族(ロボットの語源となった作品自体がそういう存在に近いですし)
であるか、工場や危険な現場で運用される作業機械なんだと思います。
身近な存在であるからこそ、子供っぽい空想が挟む余地はなく、現実的に起こりえる対立、
故障による暴走を危惧しているんじゃないかなあと。
(実際、既に軍用ロボットの類は危険な誤作動が報告されていますし)
そういう点ではおっしゃる通り、雑多な人種が混在するアメリカ人と、
他人種が身近な存在ではない日本人(気付いていないだけで実は・・・といったパターンもあるのですが)
の国民性が出ているのでしょうね。
人形ロボットが儀礼的な物ではなく、社会への浸透や実質的な人権と市民権を獲得し、
空想上のキャラクターや自分の写し身、子供ではなく、必ずしも言うことを聞いてくれるとは限らない
故障の可能性を抱えた道具や自立した人間、大人になったとしたら、
それを受け入れる際にはある程度の躊躇や混乱が発生するうな気がします。
今回は挨拶がてらに長々と私見を書き連ねてしまい、すみませんでした。
それでは。
∀の感想からこちらに興味を持ち、色々と拝見させて頂きました。
個人的には、日本人がロボットに対して楽観視していられるのは、
ロボットと言えば海外SFを日本の子供向けに噛み砕き昇華してみせた
アトムやドラえもん、ガンダムといった人形だからなのだと思っています。
言ってしまえば妖精やドラゴンのような漫画、アニメの中の空想の産物であり、
ロボット工学というのもそれを再現する道楽程度にしか
捉えていないのではないでしょうか。(まあ趣味的な要素が大きいのは確かなのですが)
一方、欧米人がイメージするロボットというのは
新しい人類、種族(ロボットの語源となった作品自体がそういう存在に近いですし)
であるか、工場や危険な現場で運用される作業機械なんだと思います。
身近な存在であるからこそ、子供っぽい空想が挟む余地はなく、現実的に起こりえる対立、
故障による暴走を危惧しているんじゃないかなあと。
(実際、既に軍用ロボットの類は危険な誤作動が報告されていますし)
そういう点ではおっしゃる通り、雑多な人種が混在するアメリカ人と、
他人種が身近な存在ではない日本人(気付いていないだけで実は・・・といったパターンもあるのですが)
の国民性が出ているのでしょうね。
人形ロボットが儀礼的な物ではなく、社会への浸透や実質的な人権と市民権を獲得し、
空想上のキャラクターや自分の写し身、子供ではなく、必ずしも言うことを聞いてくれるとは限らない
故障の可能性を抱えた道具や自立した人間、大人になったとしたら、
それを受け入れる際にはある程度の躊躇や混乱が発生するうな気がします。
今回は挨拶がてらに長々と私見を書き連ねてしまい、すみませんでした。
それでは。
ロボなるものは幻想なりや
初めまして。
私は欧米人にとってもフィクション作品に出てくるロボットというのは、まだまだファンタジーであることには代わりないと思うんですよ。
「ロボットに対して、日本人は『共生』の、欧米人は『対立』のファンタジーを見ている」というのが私の立ち位置です。
おつさんと私の違いは、欧米人がロボットに危機感を持つことを、
・現実的な問題としてロボットは暴走すると考えている(おつ説)
・ロボットが自由意志を持つというファンタジーを信じている(平坦坂説)
と違う捉え方をしていることなのではないかと思います。
私の場合はアニメなどのように、ロボットが自由意志というものを持つとは考えていません。
人間のプログラミングによって「人間の心を模倣したもの」は生まれるとは思いますが、それをもって人間と同じとするのは疑念があります。
人格のようなものを持ち、人類に反抗するような存在が生まれるにしても、人間が「そういうことができる」ように作るか、あるいは単純にケアレスミスでバグ的に出現すると考えています。
なので、もしロボットが人間に反抗することがあったとしても、私はそれを「人間の仕業」であると考えます。意図的にしろ、そうでないにしろ。
逆にロボットが友人であるのも「人間がそういう風に作ったから」以上でも以下でもないと考えます。
ロボットの語源である、アシモフの作品で「三原則の矛盾」という、それを設定した人間側のミスによって事件が起きたように。
結局、人間の手によるものならば、それが成長してどんな悪さをしようと「人類の子供」であることに変わりない。
悪いことするのは育てた人間が悪いのです。
ですが欧米人は「ある日、突然別の生命体に進化する」という風に捉えているように私には見えます。
ロボットを別の種族のように考えているように見える欧米人の態度は、日本人よりも余程ファンタジーとして捉えているように感じたのです。
またのコメント、心よりお待ちしております。
私は欧米人にとってもフィクション作品に出てくるロボットというのは、まだまだファンタジーであることには代わりないと思うんですよ。
「ロボットに対して、日本人は『共生』の、欧米人は『対立』のファンタジーを見ている」というのが私の立ち位置です。
おつさんと私の違いは、欧米人がロボットに危機感を持つことを、
・現実的な問題としてロボットは暴走すると考えている(おつ説)
・ロボットが自由意志を持つというファンタジーを信じている(平坦坂説)
と違う捉え方をしていることなのではないかと思います。
私の場合はアニメなどのように、ロボットが自由意志というものを持つとは考えていません。
人間のプログラミングによって「人間の心を模倣したもの」は生まれるとは思いますが、それをもって人間と同じとするのは疑念があります。
人格のようなものを持ち、人類に反抗するような存在が生まれるにしても、人間が「そういうことができる」ように作るか、あるいは単純にケアレスミスでバグ的に出現すると考えています。
なので、もしロボットが人間に反抗することがあったとしても、私はそれを「人間の仕業」であると考えます。意図的にしろ、そうでないにしろ。
逆にロボットが友人であるのも「人間がそういう風に作ったから」以上でも以下でもないと考えます。
ロボットの語源である、アシモフの作品で「三原則の矛盾」という、それを設定した人間側のミスによって事件が起きたように。
結局、人間の手によるものならば、それが成長してどんな悪さをしようと「人類の子供」であることに変わりない。
悪いことするのは育てた人間が悪いのです。
ですが欧米人は「ある日、突然別の生命体に進化する」という風に捉えているように私には見えます。
ロボットを別の種族のように考えているように見える欧米人の態度は、日本人よりも余程ファンタジーとして捉えているように感じたのです。
またのコメント、心よりお待ちしております。
丁重なお返事、まことにありがとうございます
なるほど、確かに想像力の問題というのは納得が行きますね。
私も自然発生的な思考の芽生えはあり得ないと思います。
ロボットに自我が芽生えて人間と結ばれたり、人類の友人になったりする物語に対して、
平坦さんのおっしゃる通り、
「それは人為的なプログラムの延長線上にある物なんじゃないか?」
という疑念が頭に浮かびます。
どうにも、ピグマリオンコンプレックスの域を出ていないように思えるのです。
なので、アシモフや神林長平の著作のように
機械はどれだけ進歩しても機械であり、独自の論理がある。
だから人間と混同して接するのは危険であるという話の方が素直に受け止められます。
ただ・・・人間を含む生物の機能を再現することにより、
その仕組みをより深く理解し他分野にフィードバックしようとする分野もあるので、
研究の一貫として、人間の脳を再現したコンピュータというものは
遠い未来では作られる気もします。
心を科学的に再現できるとなると、天然と人工の差異というのも曖昧になりそうです。
もっとも、それをわざわざロボットに搭載する必要が出てくるような
実益が生まれるかは微妙な所ですし、万が一作られたとしても
それが間違いを冒すのはご指摘のように、
親が原因なのでしょうけれど。
それと、ハード面に関しては表情筋が仕込まれた物や、
軍用化学防護スーツの実験用として擬似的に発汗を再現した
歩行ロボットなる物まで検討されているので、
アメリカ人がロボットの悪用を不安視するのも
仕方がないのかなあなんて考えてしまいます。
長々と素人の感想にお付き合いさせてすみません。
私も自然発生的な思考の芽生えはあり得ないと思います。
ロボットに自我が芽生えて人間と結ばれたり、人類の友人になったりする物語に対して、
平坦さんのおっしゃる通り、
「それは人為的なプログラムの延長線上にある物なんじゃないか?」
という疑念が頭に浮かびます。
どうにも、ピグマリオンコンプレックスの域を出ていないように思えるのです。
なので、アシモフや神林長平の著作のように
機械はどれだけ進歩しても機械であり、独自の論理がある。
だから人間と混同して接するのは危険であるという話の方が素直に受け止められます。
ただ・・・人間を含む生物の機能を再現することにより、
その仕組みをより深く理解し他分野にフィードバックしようとする分野もあるので、
研究の一貫として、人間の脳を再現したコンピュータというものは
遠い未来では作られる気もします。
心を科学的に再現できるとなると、天然と人工の差異というのも曖昧になりそうです。
もっとも、それをわざわざロボットに搭載する必要が出てくるような
実益が生まれるかは微妙な所ですし、万が一作られたとしても
それが間違いを冒すのはご指摘のように、
親が原因なのでしょうけれど。
それと、ハード面に関しては表情筋が仕込まれた物や、
軍用化学防護スーツの実験用として擬似的に発汗を再現した
歩行ロボットなる物まで検討されているので、
アメリカ人がロボットの悪用を不安視するのも
仕方がないのかなあなんて考えてしまいます。
長々と素人の感想にお付き合いさせてすみません。
感情を持つモノを
欧米人は何のかんの言いながらも、思考可能なロボットが身近になれば受け入れてしまうと思います。
イラクで導入された戦闘用ロボットに、アメリカ兵が感情移入したというのは有名な話ですし。
無機物に対して人格などを投影するのは、人間に本来的に備わった機能なのではないかと思います。
確かに日本人は欧米人に比べて、ロボットに対して楽観的ですよね。
日本ではアメリカのようにロボットの軍事転用を考えていないというのも関係あるでしょうが。
そこら辺は欧米が「人間対ロボット」というファンタジーを描いたのに対し、日本人は「ロボット対ロボット」というファンタジーを描いてきたこと関係しているのではないかなぁと思っています。(アトムや鉄人28号など)
ロボットが暴走したなら、同じぐらいの強さのロボットをぶつければいいって感じで。
欧米のようにロボットが全て人間の敵になるというパターンを想定していないように思えます。
イラクで導入された戦闘用ロボットに、アメリカ兵が感情移入したというのは有名な話ですし。
無機物に対して人格などを投影するのは、人間に本来的に備わった機能なのではないかと思います。
確かに日本人は欧米人に比べて、ロボットに対して楽観的ですよね。
日本ではアメリカのようにロボットの軍事転用を考えていないというのも関係あるでしょうが。
そこら辺は欧米が「人間対ロボット」というファンタジーを描いたのに対し、日本人は「ロボット対ロボット」というファンタジーを描いてきたこと関係しているのではないかなぁと思っています。(アトムや鉄人28号など)
ロボットが暴走したなら、同じぐらいの強さのロボットをぶつければいいって感じで。
欧米のようにロボットが全て人間の敵になるというパターンを想定していないように思えます。
まぁ必ずしも日本人がロボットに対して警戒感を持っていないということもないとは思うんですが。
ただ、手塚治虫の「メトロポリス」なんか読んでると、人間に反乱を起こすロボットの方によほど感情移入してしまうんですよね。
これはあくまで私見ですけど、日本人の持つロボットに対するある種の「楽観」は、アニミズムどうこうというよりも、実は単純に手塚治虫の哲学とストーリーテリングの影響じゃないかという気もします。
ただ、手塚治虫の「メトロポリス」なんか読んでると、人間に反乱を起こすロボットの方によほど感情移入してしまうんですよね。
これはあくまで私見ですけど、日本人の持つロボットに対するある種の「楽観」は、アニミズムどうこうというよりも、実は単純に手塚治虫の哲学とストーリーテリングの影響じゃないかという気もします。
アトムの末路
hogeさん、コメントありがとうございます。
その通りでロボットの反乱を日本人が全く想定しないということはないんでしょう。
確かに日本人の楽観には手塚治虫の作品の影響も大きいと思います。
しかし、その当の手塚治虫のもっとも日本人に影響を与えたであろう作品である鉄腕アトムが、最終的に人間をロボットが支配する世界になるのが面白いところですね。
その通りでロボットの反乱を日本人が全く想定しないということはないんでしょう。
確かに日本人の楽観には手塚治虫の作品の影響も大きいと思います。
しかし、その当の手塚治虫のもっとも日本人に影響を与えたであろう作品である鉄腕アトムが、最終的に人間をロボットが支配する世界になるのが面白いところですね。