【軍師官兵衛】岡山はいつから岡山か?【高松城は岡山か】
- 2014/07/20
- 20:07
本日放送の「軍師官兵衛」を見ていたら、高松城から姫路へと駆け戻った官兵衛の息子である長政が「姫路から岡山まで~」という台詞を口にしていた。
そこで「おやっ」と思ったのだが、当時に『岡山』という地名は存在したのだろうか。
昔は岡山じゃなく『吉備』とか『備前』と呼ばれていたんじゃなかったっけ。
そんなわけでちょっとネットで検索してみた。
鎌倉時代より見られる名で、地名の由来は城周辺の小高い丘を「岡山」と呼んだことにちなむ。
「岡山」 現在の岡山城本丸があるところ。つまり今の岡山城は、当時小高い「岡山」と呼ばれた小山を利用して作られた訳です。「岡山城」は、宇喜多直家の跡を継いだ宇喜多秀家が、天正18年(1590年)に石山から城を移すために新規築城したものです。
つまり鎌倉時代から岡山城の周辺は岡山と呼ばれていたらしい。
むしろ岡山に建てたから岡山城であるらしい。
な~んだ、つまりあそこで岡山って言っても何も問題はないんだ~。
・・・って、ちょっと待って。
今回の戦いの舞台になっているのは『岡山城』じゃなくて『高松城』なんですけど!?
岡山城も高松城も近い位置にあったみたいだけど、当時は高松城の辺りまで含めて岡山と呼んでいたってことだろうか。
尼子氏が衰退すると戦国時代末期には浦上氏の家臣宇喜多直家が主家を凌駕する力をつけ、ついには浦上氏を追い出して、備前国に美作国と備中国の一部も加えた戦国大名となった。これ以後、直家が居城にした岡山が備前国の中心になった。
どうやら宇喜多直家が住む岡山城が当時は『備前国』と呼ばれたその地方の中心地であったらしい。
う~ん、つまり愛知県のことを名古屋って呼ぶようなものなのかな。
少なくともあの当時に岡山とあの地域を呼ぶことは、それほどおかしなことではないようだ。