「ハルヒダンス」に関する論理という名の詭弁
- 2008/06/17
- 08:14
ハルヒ二期のキョンのビジュアルがギャルゲーチックになってて絶望した!
なぜダ・カーポといい、二期になると主人公の髪を伸ばすのか。
あの短髪がキャラの性格と合ってて良い感じなのに・・・・・・。
「ハルヒダンス」は何が評価されているのか? - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴
今回はこの記事について反応してみる。
他の作品を引き合いに出して貶されると、やっぱりそれが好きな人間としては反発心を抱いてしまいます。
記事の内容を読む限り、流行りものに対する反発心と「そこまで騒ぐ代物じゃないだろう」という感触からの記事っぽいのですが、ああいうのって、お祭りの中にいないとやっぱり本当の面白さって分からないと思うんですよね。
自分もアイドルとか芸能人とかJ-POPについては基本的に似たような反応をしてしまうって自覚があるし。
「良い演技だ!」「良い歌だ!」と言われても、ついつい「そうかぁ?」って思ってしまう。
『「ハルヒダンス」からはそれらの個性が伝わってきません』という件に関しては、KoshianXさんが私の言いたいことは全部言ってくれているのでパスするとして。
そもそも、各々の個性の出たダンスってのが何か分かりませんけど・・・。
それぞれがキャラにあった全然違う振り付けのダンスを踊るべきってことでしょうか?
『ハルヒダンスの何が評価されたのか?』について。
黒蜥蜴さんはどうしてもあの踊りを本編から切り離して評価しようとしているようですが、それが私にはそもそも間違っているとしか思えない。
だってアレ、本編のオマケじゃん!
『涼宮ハルヒの憂鬱』ってキャラクターが魅力的で、作画が良くて、ストーリーも面白くて、平野綾さんの歌とか、話数シャッフルや衝撃の第一話などの話題性や、洒落の効いた細かい更新をする公式サイト、二次創作にしやすい設定で色んな絵描きさんが一斉にイラストやマンガを描いたりことなど。そんな様々な効果が複合的に合わさって大ヒットした作品です。
皆はあのダンスを、そんな『涼宮ハルヒの憂鬱』に付随する『レベルの高い技術で作られたオマケ』として楽しんでいるのに、それを本編から切り離して評価しようとしたら、『良い』と評価している人との間で認識の齟齬が出るのは当たり前。
たとえばガンダム本編を観ずに「本編から切り離して考えれば、どう見たってガンダムってデザイン的に格好悪いじゃん。なんで皆、あれを格好良いって言っているか分からない」って言っても、ガンダムを好きな人間から猛反発を受けるに決まってます。
なぜ、ガンダムかというと『ハルヒダンス』に比べて事情を単純化しやすいからで、また同時に私がガノタだからです。
『本編を観る気が起きない』+『ガンダムなんて格好悪い』と二重の意味で相手の好きなものを否定しているのですから、否定された方はそりゃあ冷静に対話するのは難しいです。だって全否定ですもん。
更には多少冷静に「いや、本編観てみろって、そうしたらガンダム格好良く見えてくるから!」ってコメント欄で言われても、「私が本編を観ない理由の一つは「ガンダム」が格好悪いからです」と答えられたら、そりゃあまともに相手にする気も失せるってものだ。
こっちは「本編見れば、格好良くみえる」って言ってるのに。
もう一度言うけど、ハルヒダンスを単独で評価しようとすること自体がそもそも間違いで、あれは『涼宮ハルヒ』という巨大なコンテンツの中の一つなのだ。
普通は一枚絵をスクロールさせるなどして動画としては手を抜くことが多いEDのアニメーションで、あれだけの作画枚数を使って作った『涼宮ハルヒの憂鬱』のEDだったから、あそこまで評価されている。
これがハルヒではなく、別の作品のEDだったとしたらここまでの評価は得られなかったに違いない。
その点に置いて黒蜥蜴さんの『本編と切り離して考えないのはナンセンス』という考え方は非常に違和感を覚える。
動画投稿サイトについても言及しているけど、あれは別に黒蜥蜴さんに観て貰うためにアップされていたのではないだろう。
当然ながら基本的には『すでに涼宮ハルヒが好きな人』を想定して、あるいは『これを切っ掛けにして本編にも興味を持ってほしい』という想いからアップされているはずである。
それにアップされていたとは言っても、その動画の再生ボタンを押したのは黒蜥蜴さん自身ではないかと思うのだけど。
少なくともブログを見に行ったら、強制的に再生が始まって、最後までその動画を見るのを強要されたというはずもない。
ハルヒダンスを観たのは黒蜥蜴さんの意思によるものだ。
それを自分の意思で動画サイトに行って、自分の意思で再生ボタンを押して、自分の意思で最後まで見ておきながら、まるで『観たくなかったけど見せられた』というような態度を取られても困る。
更に言うなら黒蜥蜴さんが使っている『「本編を観ているという前提を共有しない者」も訪れるそういった場所へのそういった行動によって単独で世に放たれたことで、事実上「ハルヒダンス」は本編から独立した単独の映像作品となってしまった』というロジックを利用すれば、『「前の話を観ているという前提を共有しない者」も訪れるそういった場所へのそういった行動によって世に放たれたことで、事実上「第6話」は独立した単独の映像作品となってしまった』という風に改変することができる。
まぁ、要するに『ハルヒダンス』が切り離されて単独でアップされたから『単独作品』として評価するべきとするならば、ドラマやアニメの全50数話の内、第6話だけが切り離されてアップされていたなら、それはシリーズ物ではなく『単独作品』として評価すべきという話になる。
あるいは『第6話』ではなく『ある話数の1シーンだけ』という風にしてもいい。
前後の繋がりが不明な1シーンだけを見せられても、たとえそれがファンの間では名シーンとされていても、本編を知らない人間には面白さが分からないということは往々にしてあるはずだ。
たとえば、私なんかはテレビの特番などのなつかしアニメ系の番組で、ネロが絵の前で死ぬシーンを見せられても泣いたりはしない。
だが、それを私が「つまらない」「話の意味が分からない」とか言ったりしたら、そりゃあ元の作品が好きな人間は反発するに違いない。
そして「本編を観てみろ、そうすればあのシーンで泣けるから!」と言うに決まっている。
そんなわけで私には黒蜥蜴さんの話には同意できない部分が多い。
ブームの中の一つの要素を取り出して、その一要素だけを評価しようとするならば、そりゃあ周囲の評価が過大であるように見えるのは当然の話なのだ。
なぜダ・カーポといい、二期になると主人公の髪を伸ばすのか。
あの短髪がキャラの性格と合ってて良い感じなのに・・・・・・。
「ハルヒダンス」は何が評価されているのか? - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴
今回はこの記事について反応してみる。
他の作品を引き合いに出して貶されると、やっぱりそれが好きな人間としては反発心を抱いてしまいます。
記事の内容を読む限り、流行りものに対する反発心と「そこまで騒ぐ代物じゃないだろう」という感触からの記事っぽいのですが、ああいうのって、お祭りの中にいないとやっぱり本当の面白さって分からないと思うんですよね。
自分もアイドルとか芸能人とかJ-POPについては基本的に似たような反応をしてしまうって自覚があるし。
「良い演技だ!」「良い歌だ!」と言われても、ついつい「そうかぁ?」って思ってしまう。
『「ハルヒダンス」からはそれらの個性が伝わってきません』という件に関しては、KoshianXさんが私の言いたいことは全部言ってくれているのでパスするとして。
そもそも、各々の個性の出たダンスってのが何か分かりませんけど・・・。
それぞれがキャラにあった全然違う振り付けのダンスを踊るべきってことでしょうか?
『ハルヒダンスの何が評価されたのか?』について。
黒蜥蜴さんはどうしてもあの踊りを本編から切り離して評価しようとしているようですが、それが私にはそもそも間違っているとしか思えない。
だってアレ、本編のオマケじゃん!
『涼宮ハルヒの憂鬱』ってキャラクターが魅力的で、作画が良くて、ストーリーも面白くて、平野綾さんの歌とか、話数シャッフルや衝撃の第一話などの話題性や、洒落の効いた細かい更新をする公式サイト、二次創作にしやすい設定で色んな絵描きさんが一斉にイラストやマンガを描いたりことなど。そんな様々な効果が複合的に合わさって大ヒットした作品です。
皆はあのダンスを、そんな『涼宮ハルヒの憂鬱』に付随する『レベルの高い技術で作られたオマケ』として楽しんでいるのに、それを本編から切り離して評価しようとしたら、『良い』と評価している人との間で認識の齟齬が出るのは当たり前。
たとえばガンダム本編を観ずに「本編から切り離して考えれば、どう見たってガンダムってデザイン的に格好悪いじゃん。なんで皆、あれを格好良いって言っているか分からない」って言っても、ガンダムを好きな人間から猛反発を受けるに決まってます。
なぜ、ガンダムかというと『ハルヒダンス』に比べて事情を単純化しやすいからで、また同時に私がガノタだからです。
『本編を観る気が起きない』+『ガンダムなんて格好悪い』と二重の意味で相手の好きなものを否定しているのですから、否定された方はそりゃあ冷静に対話するのは難しいです。だって全否定ですもん。
更には多少冷静に「いや、本編観てみろって、そうしたらガンダム格好良く見えてくるから!」ってコメント欄で言われても、「私が本編を観ない理由の一つは「ガンダム」が格好悪いからです」と答えられたら、そりゃあまともに相手にする気も失せるってものだ。
こっちは「本編見れば、格好良くみえる」って言ってるのに。
もう一度言うけど、ハルヒダンスを単独で評価しようとすること自体がそもそも間違いで、あれは『涼宮ハルヒ』という巨大なコンテンツの中の一つなのだ。
普通は一枚絵をスクロールさせるなどして動画としては手を抜くことが多いEDのアニメーションで、あれだけの作画枚数を使って作った『涼宮ハルヒの憂鬱』のEDだったから、あそこまで評価されている。
これがハルヒではなく、別の作品のEDだったとしたらここまでの評価は得られなかったに違いない。
その点に置いて黒蜥蜴さんの『本編と切り離して考えないのはナンセンス』という考え方は非常に違和感を覚える。
動画投稿サイトについても言及しているけど、あれは別に黒蜥蜴さんに観て貰うためにアップされていたのではないだろう。
当然ながら基本的には『すでに涼宮ハルヒが好きな人』を想定して、あるいは『これを切っ掛けにして本編にも興味を持ってほしい』という想いからアップされているはずである。
それにアップされていたとは言っても、その動画の再生ボタンを押したのは黒蜥蜴さん自身ではないかと思うのだけど。
少なくともブログを見に行ったら、強制的に再生が始まって、最後までその動画を見るのを強要されたというはずもない。
ハルヒダンスを観たのは黒蜥蜴さんの意思によるものだ。
それを自分の意思で動画サイトに行って、自分の意思で再生ボタンを押して、自分の意思で最後まで見ておきながら、まるで『観たくなかったけど見せられた』というような態度を取られても困る。
更に言うなら黒蜥蜴さんが使っている『「本編を観ているという前提を共有しない者」も訪れるそういった場所へのそういった行動によって単独で世に放たれたことで、事実上「ハルヒダンス」は本編から独立した単独の映像作品となってしまった』というロジックを利用すれば、『「前の話を観ているという前提を共有しない者」も訪れるそういった場所へのそういった行動によって世に放たれたことで、事実上「第6話」は独立した単独の映像作品となってしまった』という風に改変することができる。
まぁ、要するに『ハルヒダンス』が切り離されて単独でアップされたから『単独作品』として評価するべきとするならば、ドラマやアニメの全50数話の内、第6話だけが切り離されてアップされていたなら、それはシリーズ物ではなく『単独作品』として評価すべきという話になる。
あるいは『第6話』ではなく『ある話数の1シーンだけ』という風にしてもいい。
前後の繋がりが不明な1シーンだけを見せられても、たとえそれがファンの間では名シーンとされていても、本編を知らない人間には面白さが分からないということは往々にしてあるはずだ。
たとえば、私なんかはテレビの特番などのなつかしアニメ系の番組で、ネロが絵の前で死ぬシーンを見せられても泣いたりはしない。
だが、それを私が「つまらない」「話の意味が分からない」とか言ったりしたら、そりゃあ元の作品が好きな人間は反発するに違いない。
そして「本編を観てみろ、そうすればあのシーンで泣けるから!」と言うに決まっている。
そんなわけで私には黒蜥蜴さんの話には同意できない部分が多い。
ブームの中の一つの要素を取り出して、その一要素だけを評価しようとするならば、そりゃあ周囲の評価が過大であるように見えるのは当然の話なのだ。