DG氏の脇の甘さが気になる
- 2008/02/14
- 15:57
「『動物の権利』の前提条件」でkaien氏が参考にしていたQ&Aを詳しく読んでみる。
・動物の権利 FAQ
正直、『動物の権利(アニマル・ライツ)』という言葉を聞いた時、もっと感情的な非論理的なものを想像していたのですが・・・。
これは面白い。
非常に論理的に纏められていて、もし論理という土台でこれらの論と対決しようとするのなら非常に苦戦しそうです。
ぱっと私が思いつく中での反証は「私が奴隷になる可能性はあるが、私が動物になる可能性はないからだ」といった所でしょうか。
もっとも『動物の権利』の論に比べて、人の共感は呼べそうにないところが問題です。動物の権利を主張している人も、この論では納得しないでしょう。
あと「人間と同じ程度の文化・知能を持つ他種族がいたとしたら、それも動物として扱うのか」と言われてしまえば答えに窮してしまいますね。う~む。
それにしても気になるのはこのQ&Aに出てくる論者の一人、DG(Donald Graft)氏のことです。
よんでいる途中でこの人の言っていることの矛盾が気になってしまって仕方が無かった。
その最たるところが「#18 動物の権利を支持する人達はそんなにも殺すことを気にかけているのにどうしてフルータリアン(果食主義者)にならないのですか?」。
DG氏はこう答えている。
殺すこと自体は動物の権利哲学の関心の中心ではありません。中心
になるのは不必要な痛みや苦しみを与えるのを避けることです。
植物は痛みも苦しみも感じませんので動物の権利哲学としては果食
主義者(果物は収穫してももとの木を殺すことはないので果物のみを
食べる)になる必要があるという事は言ってません。
これはQ&A全体の論を破綻させてしまっている。
これでは「苦しまなければ動物を殺してもいい」と言ってしまっているのと同義なのだ。
少なくともこのQ&Aでは「人間に対する道徳を、動物にまで拡大すべき」という論拠のもとに話を進めていたはずだ。
それについては「#21 すでに死んでいる動物を利用する事についてはどう思いますか?」という質疑で顕著だ。
ここでは動物の死体を利用することについて「もし動物ではなく人間の死体だったら道徳的に否定されるはずだ」という根拠のもとに否定している。
その観点に立てば#18についても「人間も苦痛を感じさせなければ殺していいのか」ということになってしまう。
もっと顕著な例を出せば#26で、
動物の権利を擁護するために実行すべきこ
ととは、ほとんどエネルギーを要しない性質のものだという点です。私
達がお願いしているのは、肉を食べないことや動物を娯楽のために利用
しないことや毛皮を着ないことなどで、すなわち何かをする事ではなく、
何かをしない事なのです。
>肉を食べないこと
と言ってしまっている。
明らかに言っていることが違う。
これはどういうことなんかなぁ。本人が気付いていないのか、それとも書いた時期が違って途中で考えが変わったりしたのだろうか。あるいは翻訳のミス?
面白い論理であるだけに、こういう簡単に見付かる矛盾があるのは残念。
というか、#18を読む限り『動物の権利』推進論者の中に肉を食っている人がいるっぽいのが驚きです。
肉を食べている人はどういう論理のもとに食べているのかが気になる。
・動物の権利 FAQ
正直、『動物の権利(アニマル・ライツ)』という言葉を聞いた時、もっと感情的な非論理的なものを想像していたのですが・・・。
これは面白い。
非常に論理的に纏められていて、もし論理という土台でこれらの論と対決しようとするのなら非常に苦戦しそうです。
ぱっと私が思いつく中での反証は「私が奴隷になる可能性はあるが、私が動物になる可能性はないからだ」といった所でしょうか。
もっとも『動物の権利』の論に比べて、人の共感は呼べそうにないところが問題です。動物の権利を主張している人も、この論では納得しないでしょう。
あと「人間と同じ程度の文化・知能を持つ他種族がいたとしたら、それも動物として扱うのか」と言われてしまえば答えに窮してしまいますね。う~む。
それにしても気になるのはこのQ&Aに出てくる論者の一人、DG(Donald Graft)氏のことです。
よんでいる途中でこの人の言っていることの矛盾が気になってしまって仕方が無かった。
その最たるところが「#18 動物の権利を支持する人達はそんなにも殺すことを気にかけているのにどうしてフルータリアン(果食主義者)にならないのですか?」。
DG氏はこう答えている。
殺すこと自体は動物の権利哲学の関心の中心ではありません。中心
になるのは不必要な痛みや苦しみを与えるのを避けることです。
植物は痛みも苦しみも感じませんので動物の権利哲学としては果食
主義者(果物は収穫してももとの木を殺すことはないので果物のみを
食べる)になる必要があるという事は言ってません。
これはQ&A全体の論を破綻させてしまっている。
これでは「苦しまなければ動物を殺してもいい」と言ってしまっているのと同義なのだ。
少なくともこのQ&Aでは「人間に対する道徳を、動物にまで拡大すべき」という論拠のもとに話を進めていたはずだ。
それについては「#21 すでに死んでいる動物を利用する事についてはどう思いますか?」という質疑で顕著だ。
ここでは動物の死体を利用することについて「もし動物ではなく人間の死体だったら道徳的に否定されるはずだ」という根拠のもとに否定している。
その観点に立てば#18についても「人間も苦痛を感じさせなければ殺していいのか」ということになってしまう。
もっと顕著な例を出せば#26で、
動物の権利を擁護するために実行すべきこ
ととは、ほとんどエネルギーを要しない性質のものだという点です。私
達がお願いしているのは、肉を食べないことや動物を娯楽のために利用
しないことや毛皮を着ないことなどで、すなわち何かをする事ではなく、
何かをしない事なのです。
>肉を食べないこと
と言ってしまっている。
明らかに言っていることが違う。
これはどういうことなんかなぁ。本人が気付いていないのか、それとも書いた時期が違って途中で考えが変わったりしたのだろうか。あるいは翻訳のミス?
面白い論理であるだけに、こういう簡単に見付かる矛盾があるのは残念。
というか、#18を読む限り『動物の権利』推進論者の中に肉を食っている人がいるっぽいのが驚きです。
肉を食べている人はどういう論理のもとに食べているのかが気になる。