オタクは学校という社会のルールに適応出来ない
- 2005/11/06
- 20:33
オタクが人気者になれない理由
なかなか興味深く読ませてもらった。
リンク先の論文はアメリカのケースが念頭に置かれているが、これはそのまま日本の学校にも当てはまると思う。
学校が勉強を教えるところだ、なんていう建前を本気で信じている人は少ないだろう。
では学校が勉強をする場所でないのなら、一体何をしにいくところなのだろうか。
人によってはこう答えるだろう、「学校とは遊びに行くところだ」。
もしその言が正しいとするならば、学校という社会のルールで人気者になる人間というのは「学校で遊ぶのが得意なヤツ」で、カーストの最下層に置かれるのは「学校で遊ぶのが苦手なヤツ」になる。
そしてオタクは大概において「学校で遊ぶ」ということに対して努力しようとはしないだろう。
「学校とは何をする場所なのか」ということを誰もが明確に答えることが出来るようにならない限り、オタクが学校という社会において人気を得ることが難しい。
しかし、そんな日が来ることはまず無いのではないかと私は思う。
だって著者の言うことが正しいのならば、最下層に置かれるオタク達は洋ナシ型のカーストの中では極少数。
上位の位置にいる者はこの人気取りのゲームに文句があるわけがないし、中位にいる大多数の者も(上位にいけないことに対しての)不満はあるとしても、オタクという安全な不満の捌け口は存在するのだから、自分が最下層になるかもしれないというリスクを冒してまで本気で新しいゲームを取り入れようとは思わない。
つまり学校という社会のルールを変えるにはカーストのほぼ全てを占めるといえる上位と中位の者達に対して、オタク達の数はあまりにも少数派過ぎる。
とてもじゃないが、内側からの変革は不可能だ。
ならば外側から、大人になったオタク達が学校という場所を変えようとしようとしなければならないと言うことになるが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざにもある通り、やっと抜け出すことが出来た苦痛の日々を正視し、さらにはそこに変革をもたらそうなんてことを本気で志す奇特な人間はなかなかいないだろうから。