産経新聞の報道を元にした終戦までの流れ
- 2014/08/12
- 15:41
8月15日の終戦記念日を前に、産経新聞が当時日本が終戦を受諾するまでの流れを記事にしている。
それに際しアメリカが、皇室の維持を約束する旨を日本に対して示唆していたことが『最高機密文書ULTRA(分類番号HW12/329、330)』として纏められ、英国立公文書館所蔵の秘密文書として保管されていたと同紙の岡部伸氏は伝えている。
今回はその報道情報を元に終戦までの流れをまとめてみたいと思う。
ちなみに今回まとめるに当たって、基本的にはこの産経新聞以外のソースは出来るだけ使用しないことにしている。
それ故に記事の内容的に産経新聞の意図を追従する形になっている。
だが間違いの指摘や追加情報があれば、コメント欄などででも教えてもらいたい。
■1948年5月8日 ザカリアス放送
海軍情報部のエリス・ザカリアス大佐が日本に対して「無条件降伏まで、攻撃をやめないが、無条件降伏とは日本国民の絶滅や奴隷化ではない」「主権は維持される」と言った内容の短波放送を日本に対して行う。
この放送はドイツ降伏後の5月8日から8月4日までに毎週1回、合計で14回続けられた。
しかし無条件降伏を要求していることに変わりはなく、国体の維持などもあくまで可能性としか示されなかったことも関係しているのか、日本はこれを「策略」として受け止めた。
その上で当時の東郷茂徳外相もソビエト連邦を間に置いた、無条件降伏以外の講和を望んでいる。
「無条件以上の媾(講)和に導き得る外国ありとせば『ソ』連なるべし」(「時代の一面 東郷茂徳外交手記」)
■1948年7月26日 ポツダム宣言
連合国側から日本に対して日本軍の無条件降伏を求める宣言が行われる。
- 吾等(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、吾等の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。
- 3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。
- 世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。
- 日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
- 吾等の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、吾等がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
- 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないから。
- 第6条の新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまでの日本国領域内諸地点の占領
- カイロ宣言の条項は履行されるべき。又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない。
- 日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。
- 日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではない。捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されること。民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除されるべきこと。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。
- 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
- 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退する。
- 我々は日本政府が全日本軍の無条件降伏を宣言し、かつその行動について日本国政府が示す誠意について、同政府による十分な保障が提供されることを要求する。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅のみ。
軍部は本土決戦を主張し「国体護持」を求めて戦争を継続する。
結果として日本側はこのポツダム宣言を7月28日に「黙殺」する。
■1948年8月2日 別府領事がブレナン駐米大使と会談
アイルランド・ダブリン領事の別府節弥は、休暇のために一時帰国したブレナン駐米大使と会談。
「3カ月以内に対日戦が終結すると予測はできないが、日本人が意図すれば、明日にも終わる」とグルー米国務長官代理(元駐日大使)が発言したことをブレナン駐米大使より聞き出す。
そのことを別府領事は8月8日付の電報で外務省に報告する。
■1948年8月6日 広島原爆
■1948年8月9日 長崎原爆
広島と長崎に原爆が投下される。
■1948年8月9日 ソビエト連邦戦線布告
講和の仲立ちを期待していたソビエト連邦が8月9日に日本に対して宣戦布告をする。
■1948年8月10日 別府領事による皇室維持の確認
別府領事がアイルランド外務次官と面談。
グルー米国務長官代理が「皇室存続の日本の要求を米英は受け入れる」という見解を示しているという情報を得る。
別府領事は同日付の電報でそのことを日本に伝える。
■1948年8月11日 別府領事の電報到着
別府領事がアイルランドのダブリンから送った電報が日本に届く。
■1948年8月11日 ポツダム宣言受諾用意を伝える
日本はアメリカ、イギリスに対して国体護持を条件にポツダム宣言受諾の用意があることを伝える。
■1948年8月11日 アメリカの新聞の報道
11日付のニューヨーク・タイムズ紙では「日本は降伏を申し出る」「米国は天皇を残すだろう」と皇室維持の報道をしている。
■1948年8月12日未明 バーンズ回答届く
アメリカ国務長官バーンズより「日本国の政治形態は日本国民の意思で決まる」と言うバーンズ回答が届く。
■1948年8月12日 アメリカの新聞の報道を伝える
ニューヨーク・タイムズ紙が「連合国ヒロヒト(天皇)存続を決定」と報道。
そんな新聞報道を、スイス駐在の岡本清福陸軍武官とスウェーデンの岡本季正公使が日本に報告する。
■1948年8月12日午前 東郷外相が昭和天皇に奏上
昭和天皇に拝謁した東郷外相がバーンズ回答を元に「国民の意思が尊重されるから皇室の安泰は確保される」と奏上。
天皇は「そのまま応諾するように」と語る。
■1948年8月12日午後 昭和天皇の終戦発言
昭和天皇が皇族会議で「戦争をやめる決心をした」と発言する。
■1948年8月12日夕方 岡本陸軍武官の報告届く
スイスにいる岡本陸軍武官から、アメリカの新聞報道に対する報告が陸軍省に届く。
■1948年8月13日未明 岡本公使の電報が届く
スウェーデンの岡本公使から「実質的には日本側条件(皇室護持)を是認」という内容の電報が外務省に届く。
■1948年8月13日 昭和天皇が戦争継続を否定
昭和天皇は戦争継続を訴える阿南惟幾陸相に「国体(皇室)が守れる確証がある」と語る。
■1984年8月13日 七田カブール公使が皇室維持を伝える
カブールの七田基玄公使が、在カブール米公使とスイスで公式交渉を行う。
その交渉の席で皇室維持を連合国が受け入れることを知らされ、それを同日付の緊急電で「皇室は維持され、問題は解決する」と外務省に伝える。
■1984年8月14日 御前会議にて降伏を聖断
昭和天皇は御前会議にてポツダム宣言を受諾することを聖断する。
■1984年8月14日~15日未明 空襲
陸軍造兵廠があった大阪市や山口県光市、岩国市、埼玉県熊谷市、群馬県伊勢崎市にアメリカ軍による空襲。
■1984年8月15日正午 玉音放送
昭和天皇によるポツダム宣言の受諾が宣言される。
とりあえず産経新聞の記事を時系列に並べてみた。
終戦間近に軍部によるクーデターなどが計画されていたようだが、明確な時系列が記事で書かれていないため入れていない。
以下は産経新聞の記事のまとめ部分。
昭和史に詳しい作家、半藤一利氏の話「ソ連の膨張を恐れた米国は天皇制存続に反対のソ連、中国などに配慮して無条件降伏を貫きながら、条件緩和を伝える短波放送(ザカリアス放送)などで皇室保持のシグナルを発していた。ダブリンとカブール発電報は、その一環だろう。しかしソ連仲介の和平に固執した日本は米英の意図を読めず、終戦が遅れた。終戦直前のダブリン電報は、東郷外相が天皇に伝え、天皇が阿南陸相に『確証がある』と語り、終戦を聖断した根拠の一つとなったのだろう」
310万人といわれる日本の戦争の犠牲者のうち、ドイツ降伏後、終戦までの3カ月間で約60万人が命を落としており、米国から皇室存続のサインがありながら、聖断による終戦まで時間がかかったことは多くの問題を残したといえる。
アメリカの甘言を疑っていた日本に、海外に派遣されている領事や公使が他国の人間から言質を取ったり、アメリカ本土の新聞報道を本土に伝えたからこそ、日本が徹底抗戦を諦めてポツダム宣言を受諾することにしたという記事。
この終戦までの数日間の慌しさを見ると、日本にとってはそれだけ驚愕の出来事だったんだろうと思う。
原爆もそうだけど、仲介役を期待していたソビエト連邦の宣戦布告が。
それはアメリカもそうだったであろうことは、この話の流れからも窺える。
それまで日本もアメリカも、どこか暢気に終戦までの流れを調整している感があった。
アメリカは降伏しても酷いことにはならないと言いながらも、それをあくまで可能性として明言を避けている。
8月2日のグルー米国務長官の発言などは、勘繰りをすれば原爆による脅しであるかのようにも取れる。
対して日本もソビエト連邦を間に立てて、何とかポツダム宣言の軍の無条件降伏を回避しようとしている。
それが8月9日にソビエト連邦が参戦した途端、アメリカははっきりと国体維持を保証するし、自国の新聞まで使ってそういった情報に説得力を与えようとしている。
日本も軍部が思わずクーデターを計画するほどに、軍部を差し置いて首脳部だけで終戦に向けての話合いを進めている。
それだけ両者にとってソビエト連邦という存在が強烈だったのだろう。
参考資料
MSN産経ニュース 岡部伸著
『「皇室保持の要求、米英が受け入れる」 終戦直前にダブリン領事ら日本に打電』
『生かせなかった皇室保持シグナル 謀略警戒、遅れた終戦決断』
河野和彦著『アジア太平洋戦争と情報戦 第1回「通信社の利用」(その2)』
MSN産経ニュース 岡部伸著
『「皇室保持の要求、米英が受け入れる」 終戦直前にダブリン領事ら日本に打電』
『生かせなかった皇室保持シグナル 謀略警戒、遅れた終戦決断』
河野和彦著『アジア太平洋戦争と情報戦 第1回「通信社の利用」(その2)』
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