コメント
年末のお忙しいところすみません。
ご参考になるかどうかはわかりませんが、ドイツでの一例として↓
http://www.news-pj.net/npj/uchida-masatoshi/20090225.html
同じ敗戦国でもえらい違いです。ここまで来るとちょっとどうかという気もしますけど・・・。
ご参考になるかどうかはわかりませんが、ドイツでの一例として↓
http://www.news-pj.net/npj/uchida-masatoshi/20090225.html
同じ敗戦国でもえらい違いです。ここまで来るとちょっとどうかという気もしますけど・・・。
ドイツの例について
コメントありがとうございます。
返信が送れてしまい申し訳ありません。
リンク先の記事は軽く目を通した程度なので、完全に理解しているとは言えませんが、リンク先の記事はむしろドイツの言論の自由の封殺の話なのではないでしょうか。
市民が非合法的な手段を用いて言論の自由を叩き潰し、それを権力が容認するという意味において、むしろ日本で起こっている状況よりも悪いように思えるのですが。
権力の胸三寸で合法非合法が決められる点については、現在マンガ業界が直面している危機に似ているように見えます。
返信が送れてしまい申し訳ありません。
リンク先の記事は軽く目を通した程度なので、完全に理解しているとは言えませんが、リンク先の記事はむしろドイツの言論の自由の封殺の話なのではないでしょうか。
市民が非合法的な手段を用いて言論の自由を叩き潰し、それを権力が容認するという意味において、むしろ日本で起こっている状況よりも悪いように思えるのですが。
権力の胸三寸で合法非合法が決められる点については、現在マンガ業界が直面している危機に似ているように見えます。
説明不足ですみません。
市民による言論封殺と言う側面も確かにあるとは思いますが、社会の右傾化に対し日本ではマスコミ含め市民は無関心、ドイツでは「戦う民主主義」という辺りでの「えらい違い」と言う感じですね。
歴史的な経緯から(何せナチスは完全に合法的に、民主的な手続きに乗っ取って政権を握ったあげく、民主主義を破壊したわけですし)、ドイツ(に限らずヨーロッパ)には「民主主義とは戦って維持する物」と言う認識が市民レベルで浸透しているようです。
危険な傾向がこれに含まれるのは仰る通りだと思うのですが、日本の現状における無関心さも危険と言う意味では同じレベルか、むしろそれ以上かもしれないと感じなくもないです。
後、言論の自由に関しては、ヨーロッパではすでにヘイトスピーチの法規制も実施されている現状があります。
これも考え方は様々で一概に言えないわけですが、石原慎太郎が一作家としてどのような「表現」を行おうが自由でしょうが、為政者として公人として「無制限の」言論の自由を公使する事を、一般市民のそれと同レベルでは語れないのではないかと言うのが私見です。
市民による言論封殺と言う側面も確かにあるとは思いますが、社会の右傾化に対し日本ではマスコミ含め市民は無関心、ドイツでは「戦う民主主義」という辺りでの「えらい違い」と言う感じですね。
歴史的な経緯から(何せナチスは完全に合法的に、民主的な手続きに乗っ取って政権を握ったあげく、民主主義を破壊したわけですし)、ドイツ(に限らずヨーロッパ)には「民主主義とは戦って維持する物」と言う認識が市民レベルで浸透しているようです。
危険な傾向がこれに含まれるのは仰る通りだと思うのですが、日本の現状における無関心さも危険と言う意味では同じレベルか、むしろそれ以上かもしれないと感じなくもないです。
後、言論の自由に関しては、ヨーロッパではすでにヘイトスピーチの法規制も実施されている現状があります。
これも考え方は様々で一概に言えないわけですが、石原慎太郎が一作家としてどのような「表現」を行おうが自由でしょうが、為政者として公人として「無制限の」言論の自由を公使する事を、一般市民のそれと同レベルでは語れないのではないかと言うのが私見です。
我々はネオナチである
なるほど。
基本的には私はヘイトスピーチの法規制については反対の立場です。もちろん、ヘイトスピーチをしても野放しになるという状況を望むものではありません。
しかし、それはヘイトスピーチに晒される当人に、裁判費用などを用意して発言者と戦えと言っているということなので、現実的ではないという自覚はあります。
私の考えは夢想であると言っても良いと思います。
現実的にはヘイトスピーチの法規制も仕方がないと思いますが、立場的には反対ということでご理解下さい。非常に無責任な話ですが。
ここ五百年程において、日本に「戦う民主主義」というものが一度も存在しませんでした。
学生運動というものがそれにあたるのではないかという側面もありますが、当時の風を知らない自分には「何がやりたかったのか分からないが、学生が暴れていた」という風にしか見えないのも事実です。
そして、日本に置いて「戦う民主主義」が浸透したとして、それが正しく運用されるという確信が私にはありません。
上記の学生運動についても、何が原因で何がしたかったのか後世になれば分からない代物ですし。
今回の表現規制について、どれだけの人が正しく理解しようとしてくれるか分かったものではありません。
一番この件が話題になっているネット上でも、碌に条例を読もうとしない人間は賛成派どころか、反対派にも顕著です。
テレビ局に至っては今回の条例に関係ない成人向けマンガを例に出して「こんなマンガを規制するためにやっている」と確信犯的に(正誤どちらの意味でも)ミスリードをする始末。
正味な話、私には少なくとも今回の件に置いて「戦う民主主義」が正しく作用するとは思えません。
逆に「健全な規制に反対する思想的に悪い人間と戦う」という風にすら転ぶのではないかと危ぶんでいます。
現実的に今回の件で規制反対派は、この市民によって叩き潰されたネオナチの立場ではないでしょうか。
基本的には私はヘイトスピーチの法規制については反対の立場です。もちろん、ヘイトスピーチをしても野放しになるという状況を望むものではありません。
しかし、それはヘイトスピーチに晒される当人に、裁判費用などを用意して発言者と戦えと言っているということなので、現実的ではないという自覚はあります。
私の考えは夢想であると言っても良いと思います。
現実的にはヘイトスピーチの法規制も仕方がないと思いますが、立場的には反対ということでご理解下さい。非常に無責任な話ですが。
ここ五百年程において、日本に「戦う民主主義」というものが一度も存在しませんでした。
学生運動というものがそれにあたるのではないかという側面もありますが、当時の風を知らない自分には「何がやりたかったのか分からないが、学生が暴れていた」という風にしか見えないのも事実です。
そして、日本に置いて「戦う民主主義」が浸透したとして、それが正しく運用されるという確信が私にはありません。
上記の学生運動についても、何が原因で何がしたかったのか後世になれば分からない代物ですし。
今回の表現規制について、どれだけの人が正しく理解しようとしてくれるか分かったものではありません。
一番この件が話題になっているネット上でも、碌に条例を読もうとしない人間は賛成派どころか、反対派にも顕著です。
テレビ局に至っては今回の条例に関係ない成人向けマンガを例に出して「こんなマンガを規制するためにやっている」と確信犯的に(正誤どちらの意味でも)ミスリードをする始末。
正味な話、私には少なくとも今回の件に置いて「戦う民主主義」が正しく作用するとは思えません。
逆に「健全な規制に反対する思想的に悪い人間と戦う」という風にすら転ぶのではないかと危ぶんでいます。
現実的に今回の件で規制反対派は、この市民によって叩き潰されたネオナチの立場ではないでしょうか。