玄関前のぬりかべさん
- 2008/07/12
- 01:33
妖怪には学校も試験も何にもないというけれど、どうやらそれは本当のことらしい。
いや、あれはおばけだっけか?
先日、ウチに突然やってきた自称・座敷童子は寝惚けた顔でパンを齧っている。
ちなみに彼女がやってきてからの変化といえば、食費が二人分掛かるようになったのと、俺が家にいない間も彼女がテレビやらゲーム機やらを使っているせいで以前よりも電気代が掛かるようになったくらいだ。俺の給料が上がったりとか、一億円拾ったりとかそういうラッキーなことは何もない。
これから人が社会の荒波に揉まれに行こうとしているのに、呑気な顔でテレビを見てケタケタ笑っているのを目の前にすると本気で家から放り出したくなる。
「じゃ、いってくるから」
玄関前で声を掛けるも、居候である座敷童子はこっちを見ようともしない。
「いってきまーす」
一応、聞こえていなかったのかも知れないともう一度声を出してみるけど結果は同じ。
「おいっ!」
「……なんですか?」
いい加減、腹が立つ。思わず声を荒げる俺に、座敷童子は見るからにうるさそうに顔だけを向けた。
「いってらっしゃいのちゅーとかやりませんよ? そういうご都合主義、エロマンガの中だけですから」
「誰がいるか、そんなもん!」
あと女の子が普通に『エロマンガ』とか言うんじゃありません。
「家主が出掛けるんだから、見送りの挨拶とかしろって言ってんだ」
「はいはい、いってらっしゃい」
「だから、それをテレビじゃなくて俺に向かって言えっての!」
初めの頃は三つ指ついて見送りしてくれたというのに、何なんだこの態度の急変は。
色々と言いたいことはあるが、あんまりこうしていても会社に遅れてしまうので、俺は座敷童子に一睨みするとドアノブに手をかけた。
「ぎゃぷっ」
……気のせいだろうか。扉が完全に開ききる前に何かにぶつかって止まったのは。あと明らかに人のものっぽい悲鳴が聞こえたような気もする。
小さく開いたドアの隙間から恐る恐る外を覗いてみると、そこには予想通りドアの前に人が倒れていた。しかも何か見たことのある顔だ。
「……大丈夫ですか」
「だめ~、全然死ぬ~」
日本語として激しく間違っている返事が返ってくる。残念ながら俺の辞書にそういう言語を翻訳する機能は搭載されていないが、つまりはまぁ大丈夫だということだろう。
「塗壁さん。そんなところで寝られると困るんですけど」
お隣の塗壁さんは今日も明け方まで飲んで帰ってきたらしい。それがなぜ毎回我が家の前で寝入るのかは謎だ。
「う~ん、後五分」
「俺としては五分だろうが三年寝太郎だろうが構いませんけどね。そこ、どいてくれないと出れないんですけど」
流石に女性をドアで押し退けるのには抵抗がある。だが、このままでは遅刻になってしまう俺としては非常に困った事態になったと言わざる得ない。
とりあえずドアと壁の間にできた非常に狭い空間を無理矢理通り抜ける。
「じゃ、いってきますから」
「だめ~!」
「うわちゃうっ」
途中で壁にぶつけた頭を摩りながら、ドアに鍵をかけいざ出発しようとした瞬間、右足に何か重たいものが絡み付いて俺は思わずつんのめった。
「何するんですか!」
見れば、塗壁さんが俺の右足にしがみ付いている。
押し付けられる胸の感触が心地良くないといえば嘘になるが、今はそんなものより会社の上司の頭に生えるかもしれない角の方が重要だ。
「やら~、らめ~、置いていっちゃやら~!」
うわ~、この人酒が抜けてないどころか、絶賛酔いどれ中だよ。
「離して! 俺に会社に! 会社に行かせて下さい!」
「バカヤロウー! 社会に歯車なんかになってんじゃねぇ~!」
「そんな青い考えは十代の頃のはしかにしといて下さいよ!」
足を掴む塗壁さんの両手を振り解こうと四苦八苦するが、どういうわけか彼女の腕はびくともしない。酔っ払いだからかどうなのか知らないが、手加減もなく足を締め上げてくるので非常に痛い。
「……何をやってるんです」
ふと気が付けば、我が家の同居人が玄関のドアの隙間から、傍目にはじゃれあっているようにしか見えない俺達を胡乱げな表情で見詰めていた。
「おいっ、座敷童子! この人、何とかしてくれ!」
「………」
助けを求める俺と、その足にがっしりと掴まった塗壁さんと、CMが終わったらしいテレビへと順番に視線を巡らせた後。
座敷童子は妙に可愛らしい、だがそれ故に作り笑い以外の何ものでもない笑顔でのたまった。
「すいません。私、座敷童子なんで憑いている家の外には出られないんですよ。本当はとってもとっても力になりたいんですけど、残念です」
「テメェ! 昨日、一緒に近所のコンビニに行ったじゃねぇか!!」
バタンとドアが閉じた。
俺が同居人がいるのだから無理にドアから出ずに、窓から外に出れば良かったのだと気付いたのは十分後のことだった。
▽関連▽
・塗壁 - Wikipedia
いや、あれはおばけだっけか?
先日、ウチに突然やってきた自称・座敷童子は寝惚けた顔でパンを齧っている。
ちなみに彼女がやってきてからの変化といえば、食費が二人分掛かるようになったのと、俺が家にいない間も彼女がテレビやらゲーム機やらを使っているせいで以前よりも電気代が掛かるようになったくらいだ。俺の給料が上がったりとか、一億円拾ったりとかそういうラッキーなことは何もない。
これから人が社会の荒波に揉まれに行こうとしているのに、呑気な顔でテレビを見てケタケタ笑っているのを目の前にすると本気で家から放り出したくなる。
「じゃ、いってくるから」
玄関前で声を掛けるも、居候である座敷童子はこっちを見ようともしない。
「いってきまーす」
一応、聞こえていなかったのかも知れないともう一度声を出してみるけど結果は同じ。
「おいっ!」
「……なんですか?」
いい加減、腹が立つ。思わず声を荒げる俺に、座敷童子は見るからにうるさそうに顔だけを向けた。
「いってらっしゃいのちゅーとかやりませんよ? そういうご都合主義、エロマンガの中だけですから」
「誰がいるか、そんなもん!」
あと女の子が普通に『エロマンガ』とか言うんじゃありません。
「家主が出掛けるんだから、見送りの挨拶とかしろって言ってんだ」
「はいはい、いってらっしゃい」
「だから、それをテレビじゃなくて俺に向かって言えっての!」
初めの頃は三つ指ついて見送りしてくれたというのに、何なんだこの態度の急変は。
色々と言いたいことはあるが、あんまりこうしていても会社に遅れてしまうので、俺は座敷童子に一睨みするとドアノブに手をかけた。
「ぎゃぷっ」
……気のせいだろうか。扉が完全に開ききる前に何かにぶつかって止まったのは。あと明らかに人のものっぽい悲鳴が聞こえたような気もする。
小さく開いたドアの隙間から恐る恐る外を覗いてみると、そこには予想通りドアの前に人が倒れていた。しかも何か見たことのある顔だ。
「……大丈夫ですか」
「だめ~、全然死ぬ~」
日本語として激しく間違っている返事が返ってくる。残念ながら俺の辞書にそういう言語を翻訳する機能は搭載されていないが、つまりはまぁ大丈夫だということだろう。
「塗壁さん。そんなところで寝られると困るんですけど」
お隣の塗壁さんは今日も明け方まで飲んで帰ってきたらしい。それがなぜ毎回我が家の前で寝入るのかは謎だ。
「う~ん、後五分」
「俺としては五分だろうが三年寝太郎だろうが構いませんけどね。そこ、どいてくれないと出れないんですけど」
流石に女性をドアで押し退けるのには抵抗がある。だが、このままでは遅刻になってしまう俺としては非常に困った事態になったと言わざる得ない。
とりあえずドアと壁の間にできた非常に狭い空間を無理矢理通り抜ける。
「じゃ、いってきますから」
「だめ~!」
「うわちゃうっ」
途中で壁にぶつけた頭を摩りながら、ドアに鍵をかけいざ出発しようとした瞬間、右足に何か重たいものが絡み付いて俺は思わずつんのめった。
「何するんですか!」
見れば、塗壁さんが俺の右足にしがみ付いている。
押し付けられる胸の感触が心地良くないといえば嘘になるが、今はそんなものより会社の上司の頭に生えるかもしれない角の方が重要だ。
「やら~、らめ~、置いていっちゃやら~!」
うわ~、この人酒が抜けてないどころか、絶賛酔いどれ中だよ。
「離して! 俺に会社に! 会社に行かせて下さい!」
「バカヤロウー! 社会に歯車なんかになってんじゃねぇ~!」
「そんな青い考えは十代の頃のはしかにしといて下さいよ!」
足を掴む塗壁さんの両手を振り解こうと四苦八苦するが、どういうわけか彼女の腕はびくともしない。酔っ払いだからかどうなのか知らないが、手加減もなく足を締め上げてくるので非常に痛い。
「……何をやってるんです」
ふと気が付けば、我が家の同居人が玄関のドアの隙間から、傍目にはじゃれあっているようにしか見えない俺達を胡乱げな表情で見詰めていた。
「おいっ、座敷童子! この人、何とかしてくれ!」
「………」
助けを求める俺と、その足にがっしりと掴まった塗壁さんと、CMが終わったらしいテレビへと順番に視線を巡らせた後。
座敷童子は妙に可愛らしい、だがそれ故に作り笑い以外の何ものでもない笑顔でのたまった。
「すいません。私、座敷童子なんで憑いている家の外には出られないんですよ。本当はとってもとっても力になりたいんですけど、残念です」
「テメェ! 昨日、一緒に近所のコンビニに行ったじゃねぇか!!」
バタンとドアが閉じた。
俺が同居人がいるのだから無理にドアから出ずに、窓から外に出れば良かったのだと気付いたのは十分後のことだった。
▽関連▽
・塗壁 - Wikipedia