「愛国心」教育に対する懸念
- 2008/03/28
- 22:52
まず前提として。
私は日本の教育って「学習意欲を高める」ってことに対しては最高に弩下手だけど、こと「勉強させる」ということに対してはピカイチだと思うんですよ。
自分から何かを勉強しようとは思わないけど、出された課題や問題は的確に片付ける。日本の学生の大多数の特徴だと思います。
そういう意味でこの「愛国心教育」って言うのは、非常に効果を示すと思います。
その根拠となるのは今もやっているかどうか分からないけど、少し前までは確実にやっていた「反戦教育」です。
これは非常に効果を示したように思います。
「武器を持つこと、戦うこと自体が悪」という考え方を浸透させるのに大きな力を持ちました。
これは「反戦教育」が自分から進んで勉強しなければならないことではなく、教育者側が教えることをただ受け止れば良いだけなので非常に容易いからです。
ただ、これには弊害もあるわけで。
本来、物事には「本音と建前」というものがあって、人はそれを使い分けていきていきます。
「武器を持つこと、戦うこと自体が悪」という考え方は「建前」に属することで、公共機関である学校がそれを教えることに問題はありません。
しかし、その「建前」が浸透する過程で、「建前」に反する考え方をする者自体が「悪」であるという考え方まで生んでしまうことがあります。
つまり、この場合は「国は外国の脅威に対抗するために武装をすべきだ」という「本音」の主張する人間を奇異の目で見たり、時には糾弾すらしてしまうのです。
これでは本来進めるべき「本音」の議論すらすることができません。
では、これが「愛国心」となるとどうでしょう?
「愛国心」に対して反対の意見を出す者を奇異の目で見たり、時には糾弾したりする・・・・・・それは非常に大きな問題を孕んでいるのではないでしょうか。
「愛国心を否定する」ということは即ち「日本の国に対して批判的な意見を出す」ということです。
これを否定されてしまうと大変なことになります。
国を良くしようと現在の政治に対して文句を言うことはできなくなりますし、他国による日本に対する攻撃に対しても今以上に過敏になります。
ネットという「本音」をぶちまけることができる場所があるから多少は和らぐとはいえ、このままではリアルでは国を批判するということが出来なくなるのではないか。
それが少し心配です。
過剰な愛国心は人の目を曇らせ、現実から目を背けさせて妄想の世界に飛び立たせます。
本来「愛国心」なんてのは心の中に秘めておくことで、声高に叫ぶべきものではないかと思うのですが。
古い考え方過ぎるでしょうか?
私は日本の教育って「学習意欲を高める」ってことに対しては最高に弩下手だけど、こと「勉強させる」ということに対してはピカイチだと思うんですよ。
自分から何かを勉強しようとは思わないけど、出された課題や問題は的確に片付ける。日本の学生の大多数の特徴だと思います。
そういう意味でこの「愛国心教育」って言うのは、非常に効果を示すと思います。
その根拠となるのは今もやっているかどうか分からないけど、少し前までは確実にやっていた「反戦教育」です。
これは非常に効果を示したように思います。
「武器を持つこと、戦うこと自体が悪」という考え方を浸透させるのに大きな力を持ちました。
これは「反戦教育」が自分から進んで勉強しなければならないことではなく、教育者側が教えることをただ受け止れば良いだけなので非常に容易いからです。
ただ、これには弊害もあるわけで。
本来、物事には「本音と建前」というものがあって、人はそれを使い分けていきていきます。
「武器を持つこと、戦うこと自体が悪」という考え方は「建前」に属することで、公共機関である学校がそれを教えることに問題はありません。
しかし、その「建前」が浸透する過程で、「建前」に反する考え方をする者自体が「悪」であるという考え方まで生んでしまうことがあります。
つまり、この場合は「国は外国の脅威に対抗するために武装をすべきだ」という「本音」の主張する人間を奇異の目で見たり、時には糾弾すらしてしまうのです。
これでは本来進めるべき「本音」の議論すらすることができません。
では、これが「愛国心」となるとどうでしょう?
「愛国心」に対して反対の意見を出す者を奇異の目で見たり、時には糾弾したりする・・・・・・それは非常に大きな問題を孕んでいるのではないでしょうか。
「愛国心を否定する」ということは即ち「日本の国に対して批判的な意見を出す」ということです。
これを否定されてしまうと大変なことになります。
国を良くしようと現在の政治に対して文句を言うことはできなくなりますし、他国による日本に対する攻撃に対しても今以上に過敏になります。
ネットという「本音」をぶちまけることができる場所があるから多少は和らぐとはいえ、このままではリアルでは国を批判するということが出来なくなるのではないか。
それが少し心配です。
過剰な愛国心は人の目を曇らせ、現実から目を背けさせて妄想の世界に飛び立たせます。
本来「愛国心」なんてのは心の中に秘めておくことで、声高に叫ぶべきものではないかと思うのですが。
古い考え方過ぎるでしょうか?