「萌え」なんて所詮妥協の産物
- 2007/06/09
- 08:39
あんまり言うべきでないというか、個人個人の言葉に対する感覚にケチ付けるようなのは好きではないのだけど、どうしても気になってしまう。
114920 ― ここはチラシの裏です
脳内恋愛については経験値が無いので語れない。
妖怪手長みたいな生物を5、6年ぐらい前から肩車しているけど、それは脳内恋愛とは関係ないしなぁ。
何しろ、オスかメスかも分からんし、というかそもそも性別があるのだろうか。
私は勝手に女の子だと思うことにしてるのだけど。
それ以前に人の形をしているのかどうか・・・。
あ、ちなみに私の足は長くありません。・・・み、短くなんかないんだからね!
で本題なんです。
どうも「萌え」と「愛」を同じ次元に並べられると違和感がある。
少なくとも「萌え」という名称がない時からその感情を持っていて、「萌え」という言語を聞いて初めてその感情の名前を知った人間としては。
もしかしたら、私だけの感覚であるのかも知れないのは分かっているのだけど。
確かに「萌え」ってのは「愛してる」であり「好き」という意味ではあるのです。
でも「Love」であると同時に「Like」でもあるんだよね。あるいはその中間を彷徨う微妙な感情。
リンク先の記事に反応したのは「萌え」という感情は、フィクションの存在を現実と同じように愛し抜こうとしたけど、それが出来ず挫折した後にあるものだと思うからだ。
即ち、目の前のキャラクターに対して愛のような感情を感じる。だけど、それは決して応えてもらえないものではあるし、自分には現実の存在のように愛し抜くことも出来ない。
その人は誰かが描いているもので、誰かが声を当てているもので、同じ時を歩くことは出来なくて、誰かの都合によっては絶対にその人がしないような行動をさせられてしまうような薄い存在だということは分かっている。
(ここら辺、「者」であるとも「物」であるとも断言できない。そんな微妙な感覚を分かってもらいたい)
だから現実の存在をも対称にしている「愛してる」や「好き」という言葉をその人に対して使うことに抵抗がある。それに世間体を考えると、そんな言葉を使って本当に虚構を愛しているのだと勘違いされるのも嫌だ。
でも「気に入っている」やら「良いんじゃない?」とかいう空々しい言葉では、その人に対する想いを表現したくは無いというジレンマ。
そんな名前の無かった感情に付いた名前が「萌え」なのだ。
・・・少なくとも私にとっては。
だから私は虚構のキャラクターに対して「愛してる」や「好き」という言葉を使わない(そりゃあ、冗談とかで使うことはあるけども)。
そんなわけだから現実の存在に対して「萌え」などという言葉を使われるのには違和感を感じて仕方が無い。
「萌え」なんてのは絶対に手が届かない存在に対して使う言葉だろうが! と思う。
・・・「現実のアイドルにも手は届かない」?。
馬鹿な! アレらは触れるし、言葉を交わせるし、私には絶対に知れない部分を持っているし、やろうと思えばレイプしたり監禁したりして無理矢理体だけでも自分の物にすることだって出来るじゃないか!
出来ないんだよ! 二次元の存在はそういうことだって出来ないんだよ!
たとえ原作者を監禁して自分好みの話を描かせて自分を愛してもらったって、それは違うんだよ!
でも愛してる! 愛していることだけは確かなんだ!
・・・あ、映画とかの「役」に対しては有りね。「役者」に対してではなく「役」に対してなら。
そういう感情が「萌え」なのであって、二次元を愛し抜く覚悟という話に「萌え」を並べられては私は困る!
虚構に対する愛の挫折者から、欺瞞の愛を囁くための言葉すら奪われてしまう。
とりあえず本気で愛してるなら、ちゃんと相手に「愛してる」って伝えようぜ!
「萌え」なんてお為ごかしの言葉なんて使わず、そのことに対して胸を張るべきだ!!
・・・うん。とりあえず推敲して本気で思ったのだけど。
俺、凄くキモい。
114920 ― ここはチラシの裏です
脳内恋愛については経験値が無いので語れない。
妖怪手長みたいな生物を5、6年ぐらい前から肩車しているけど、それは脳内恋愛とは関係ないしなぁ。
何しろ、オスかメスかも分からんし、というかそもそも性別があるのだろうか。
私は勝手に女の子だと思うことにしてるのだけど。
それ以前に人の形をしているのかどうか・・・。
あ、ちなみに私の足は長くありません。・・・み、短くなんかないんだからね!
で本題なんです。
どうも「萌え」と「愛」を同じ次元に並べられると違和感がある。
少なくとも「萌え」という名称がない時からその感情を持っていて、「萌え」という言語を聞いて初めてその感情の名前を知った人間としては。
もしかしたら、私だけの感覚であるのかも知れないのは分かっているのだけど。
確かに「萌え」ってのは「愛してる」であり「好き」という意味ではあるのです。
でも「Love」であると同時に「Like」でもあるんだよね。あるいはその中間を彷徨う微妙な感情。
リンク先の記事に反応したのは「萌え」という感情は、フィクションの存在を現実と同じように愛し抜こうとしたけど、それが出来ず挫折した後にあるものだと思うからだ。
即ち、目の前のキャラクターに対して愛のような感情を感じる。だけど、それは決して応えてもらえないものではあるし、自分には現実の存在のように愛し抜くことも出来ない。
その人は誰かが描いているもので、誰かが声を当てているもので、同じ時を歩くことは出来なくて、誰かの都合によっては絶対にその人がしないような行動をさせられてしまうような薄い存在だということは分かっている。
(ここら辺、「者」であるとも「物」であるとも断言できない。そんな微妙な感覚を分かってもらいたい)
だから現実の存在をも対称にしている「愛してる」や「好き」という言葉をその人に対して使うことに抵抗がある。それに世間体を考えると、そんな言葉を使って本当に虚構を愛しているのだと勘違いされるのも嫌だ。
でも「気に入っている」やら「良いんじゃない?」とかいう空々しい言葉では、その人に対する想いを表現したくは無いというジレンマ。
そんな名前の無かった感情に付いた名前が「萌え」なのだ。
・・・少なくとも私にとっては。
だから私は虚構のキャラクターに対して「愛してる」や「好き」という言葉を使わない(そりゃあ、冗談とかで使うことはあるけども)。
そんなわけだから現実の存在に対して「萌え」などという言葉を使われるのには違和感を感じて仕方が無い。
「萌え」なんてのは絶対に手が届かない存在に対して使う言葉だろうが! と思う。
・・・「現実のアイドルにも手は届かない」?。
馬鹿な! アレらは触れるし、言葉を交わせるし、私には絶対に知れない部分を持っているし、やろうと思えばレイプしたり監禁したりして無理矢理体だけでも自分の物にすることだって出来るじゃないか!
出来ないんだよ! 二次元の存在はそういうことだって出来ないんだよ!
たとえ原作者を監禁して自分好みの話を描かせて自分を愛してもらったって、それは違うんだよ!
でも愛してる! 愛していることだけは確かなんだ!
・・・あ、映画とかの「役」に対しては有りね。「役者」に対してではなく「役」に対してなら。
そういう感情が「萌え」なのであって、二次元を愛し抜く覚悟という話に「萌え」を並べられては私は困る!
虚構に対する愛の挫折者から、欺瞞の愛を囁くための言葉すら奪われてしまう。
とりあえず本気で愛してるなら、ちゃんと相手に「愛してる」って伝えようぜ!
「萌え」なんてお為ごかしの言葉なんて使わず、そのことに対して胸を張るべきだ!!
・・・うん。とりあえず推敲して本気で思ったのだけど。
俺、凄くキモい。