なぜあなたはブログなんてやってるんだ
- 2007/05/08
- 00:27
ブログなのです。
ブログとは「個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWebサイトの総称」なのだそうだ。
この解説はIT用語辞典から引用したのだけれど、そうすると今のブログの定義は初期のものから大分変化してしまってるのだなぁ。
そもそもブログが「ウェブログ」の略だなんて、今初めて知りました。
そんなわけで今日は自分語りです。
∀ガンダムはDVD-BOXが届くまで待っていなきゃいけないので語れません。電王は前回前々回と録画に失敗しました。誰か助けて。
このブログの話題が安定しないのは、私が浮気性なのもあるけど、時々自分がどうやってブログを更新していたかを忘れるからなのよね。
それはもう唐突に忘れる。ある日「そういえばブログってどうやって書くんだっけ?」とか思う。
なのでそうなる度に新たな出発を果たすので話題がコロコロ変わったり、話し方が変わったりするのです。
それにしても、このブログも何気に2年ぐらいやってるのかぁ。
アクセス数も微量に上がっていってるけど、多分平均アクセス数が300を超えることは絶対に無いという確信がある。
アクセスが多いのは頑張ってる人。しかも自分自身が満足するために頑張ってるんじゃなくて、人のニーズに合わせた頑張りが出来る人に訪れる祝音。それが意識してか天然かには関わらず。
そういう意味では私はニーズに答えるつもりがまったくない。
多くの人が望んでいるである電王の感想は止まってるし、あんまり絵も描かないし。土台無理がある。
むしろ、こんなブログなのにアクセスが100超えてるのがおかしいといえばおかしい。
本当にごめんね。話題がフラフラして。
そんな私がブログを2年も続けている理由はなんなのかと考えた時に思い当たるのが「周囲に自分が夢中になっていることを話せない」からなんだろう。
もちろんオタク的な友人はいる。同人誌の原稿に詰まると毎晩のように電話してきて自分の好きな作品について語るヤツとか。
でもオタクだからといって、そういうオタク的なものについて全て語れるかというともちろんそうじゃないわけで。
相手がそれを観ていなかったり、観ていても私がしているような楽しみ方はしてないことは多々ある。もちろん、その逆も。
それは仕方が無い話なのよね。でも自分が好きな作品について語れないのはストレスが溜まる。すごい溜まる。
本性の絵描きさんなら、ここでその作品に対する想いを絵にするんだろうけど、私はその作品について考察したい! 分析したい! という気持ちが強いので、ブログという表現方法になるわけだ。
つまり私にとってブログとは「語れないストレスの捌け口」という側面が強い。
「みんなー、僕はこう思うんだけど聞いておくれよー!」
「もっとコレを観ろよ! そして一緒に語ろうぜぇ!」
というわけ。
つまりブログの話題がフラフラするのは結局、私が人のためではなく自分のためだけに書いているからなんだなぁ。
もちろん仕事であるなら別として、こういうものは内側に向けて書くものなのだけれど(功名心とかが絡むとその限りじゃないけど)自分の場合はその度合いが非常に強い。
結局、何が言いたいかと言うと、このブログはこれからも話題がコロコロ変わるし、みんなが期待していることを書かないかもしれないけど、出来れば読んで貰えると嬉しいなってこと!
・・・でも考えてみると語るだけなら、どっかのフォーラムとか2ちゃんねるでもいいわけで。
議論とか自分の意見に反応してもらいたいなら、こんな場末のブログで喚くよりもそっちの方が確実。
それをわざわざブログという自分の場所で語っているというのは、その行為によって名を売りたい、そしてその成果を自分だけの物にしたいという願望もあるんだろうなぁ。
結局、人ってほしいものは全部ほしいと思う生物なのね。
ブログとは「個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWebサイトの総称」なのだそうだ。
この解説はIT用語辞典から引用したのだけれど、そうすると今のブログの定義は初期のものから大分変化してしまってるのだなぁ。
そもそもブログが「ウェブログ」の略だなんて、今初めて知りました。
そんなわけで今日は自分語りです。
∀ガンダムはDVD-BOXが届くまで待っていなきゃいけないので語れません。電王は前回前々回と録画に失敗しました。誰か助けて。
このブログの話題が安定しないのは、私が浮気性なのもあるけど、時々自分がどうやってブログを更新していたかを忘れるからなのよね。
それはもう唐突に忘れる。ある日「そういえばブログってどうやって書くんだっけ?」とか思う。
なのでそうなる度に新たな出発を果たすので話題がコロコロ変わったり、話し方が変わったりするのです。
それにしても、このブログも何気に2年ぐらいやってるのかぁ。
アクセス数も微量に上がっていってるけど、多分平均アクセス数が300を超えることは絶対に無いという確信がある。
アクセスが多いのは頑張ってる人。しかも自分自身が満足するために頑張ってるんじゃなくて、人のニーズに合わせた頑張りが出来る人に訪れる祝音。それが意識してか天然かには関わらず。
そういう意味では私はニーズに答えるつもりがまったくない。
多くの人が望んでいるである電王の感想は止まってるし、あんまり絵も描かないし。土台無理がある。
むしろ、こんなブログなのにアクセスが100超えてるのがおかしいといえばおかしい。
本当にごめんね。話題がフラフラして。
そんな私がブログを2年も続けている理由はなんなのかと考えた時に思い当たるのが「周囲に自分が夢中になっていることを話せない」からなんだろう。
もちろんオタク的な友人はいる。同人誌の原稿に詰まると毎晩のように電話してきて自分の好きな作品について語るヤツとか。
でもオタクだからといって、そういうオタク的なものについて全て語れるかというともちろんそうじゃないわけで。
相手がそれを観ていなかったり、観ていても私がしているような楽しみ方はしてないことは多々ある。もちろん、その逆も。
それは仕方が無い話なのよね。でも自分が好きな作品について語れないのはストレスが溜まる。すごい溜まる。
本性の絵描きさんなら、ここでその作品に対する想いを絵にするんだろうけど、私はその作品について考察したい! 分析したい! という気持ちが強いので、ブログという表現方法になるわけだ。
つまり私にとってブログとは「語れないストレスの捌け口」という側面が強い。
「みんなー、僕はこう思うんだけど聞いておくれよー!」
「もっとコレを観ろよ! そして一緒に語ろうぜぇ!」
というわけ。
つまりブログの話題がフラフラするのは結局、私が人のためではなく自分のためだけに書いているからなんだなぁ。
もちろん仕事であるなら別として、こういうものは内側に向けて書くものなのだけれど(功名心とかが絡むとその限りじゃないけど)自分の場合はその度合いが非常に強い。
結局、何が言いたいかと言うと、このブログはこれからも話題がコロコロ変わるし、みんなが期待していることを書かないかもしれないけど、出来れば読んで貰えると嬉しいなってこと!
・・・でも考えてみると語るだけなら、どっかのフォーラムとか2ちゃんねるでもいいわけで。
議論とか自分の意見に反応してもらいたいなら、こんな場末のブログで喚くよりもそっちの方が確実。
それをわざわざブログという自分の場所で語っているというのは、その行為によって名を売りたい、そしてその成果を自分だけの物にしたいという願望もあるんだろうなぁ。
結局、人ってほしいものは全部ほしいと思う生物なのね。