あの不安を煽る展開からどうなっていくのかと思ったら、まさかギャグ展開に行くなんて・・・
まさか最短のシナリオというのがそういう意味だとは思いませんでした。
まぁ、ずっと重い話ばっかりやってたら息が詰まるもんね。
たまにはこんな軽い話もいいんじゃないでしょうか。
もう爆笑しっぱなしです。
あはははははははははははは
あはははははははははははは
あはははははははははははは
ははははは・・・ははっ・・・
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ドクチショウめ!
思わず目の前で起こる出来事から目を逸らして幻想を追いたくなるほど重いです。
人間知らずに――知らないフリをしている方が幸せになれる部分に思いっきり切り込んできたなぁ。
トピックの時代考証を無視した平成の虐待件数のデータは、話の謎に関係ないのなら「この話はフィクションだけど、だからといってそれを言い訳にして目を逸らすなよ」という作者からのメッセージなんでしょうか。
せっかく人が頑張って目を瞑って生きているのに、そこを突っ込まないでほしいものです!
・・・もう、本当にお願いします。勘弁して下さい。
それにしても無力感の描き方が上手過ぎます。
救う可能性を一つ一つ丁寧に潰していき、下手に動くわけにもいかない状況を作っていく。
更には向こうから救いすら求めてもらえない。
無力を扱う題材は多けれど、下手をすると「動けない」ではなく単に主人公が「動かない」だけになってしまうことが多い中、この無力感はなかなか凄いものがあります。
まさに「奇跡」を待つしかない状況。
・・・でもこの作品でそう都合の良い事態に転がることがあるとは思えないんだよなぁ。
これは「ひぐらし」というバッドエンドが前提の話だからこそ出来ることですね。
普通の作品だと最終的にはハッピーエンド(それが無理でもトゥルーエンド)に持っていかなくてはならないので、「救う余地」――つまりは「動けない」のではなく「動かない」という状況に留めておく。
あるいはそれこそ「奇跡」に頼るしか方法がなくなってしまう。
更に見ている側もそれが分かっているので、どこかしら安心して進めてしまう。
同じシチュエーションでも「ひぐらし」でなければ、ここまでの無力感は演出できなかったのではないでしょうか。
それにしても毎回、扱っている題材が違うのが面白い。
「鬼隠し」は正体の分からない存在に対する恐怖。日常が突然反転する恐怖。つまりは典型的なオカルト。
「綿流し」は痛みという本能的な恐怖を連想させる嫌悪感。
そしてこの「祟殺し」が無力感による悔しさとか怒り。何も出来ない自分というものに対する恐怖。
となると四つ目のシナリオは何を扱うんだろう。
「避けられない運命」?
「何かを選ばなくてはならない苦悩」?
なんにせよ楽しみです。
それにしても雛見沢の人々を知れば知るほど、日常と非日常での印象の剥離が大きくなる。
しかもその間にあるのが大きな隔たりではなくて、ちょっとした薄皮一枚であるというのがまた怖い。
また、今回は何故か大石と異常なまでに不仲になってしまった圭一。
もしかして「大石と関わらない」ことが正解なのか・・・? いやいや。
あるいは沙都子の件について交換条件を出して、大石が圭一を無理矢理協力させるという展開のための伏線なのかなぁ。