デジタルなデータを信用できますか?
- 2006/12/12
- 10:20
以前、記事の中で触れたことがあるのですが、哲学や科学について分かりやすい説明をしている「哲学的な何か、あと科学とか」というオススメサイトがあります。
ひさしぶりに訪れたところ、なんとこのサイトの内容が本になっていました。
内容としてはサイトに載せてあるものとほとんど同一で、わざわざ本で読む必要はないのかも知れませんが、あまり迷うことなく購入してしまいました。
(もしこの本をamazon.co.jpで購入されるつもりの方がいたら哲学的何か、あと科学とかさんの方でアフィリエイトをしているのでソコから購入することをオススメします)
ウェブのデータをディスクに保存すれば良い話なのにわざわざ本を購入したのは、内容が面白かったことありますが、それ以上にデジタルなデータというものを私が信用していないからです。
もちろん紙媒体も燃えたり痛んだりするのは分かっています。それにデジタルならコピーが簡単だったり、保存スペースを取らないことも分かっているのです。
それでもどうにもデジタルデータを信用することが出来ません。
それはどうもデジタルデータを閲覧するためには、データと私の間にパソコンなどの「再生するための機器」というワンステップが存在するからではないかと思います。
データの入ったCD-ROMを持っていても、それだけでは中身を見ることは出来ません。
またその再生機器を使用するためには電気が必要です。電気という動力が無ければ、パソコンなんてただの箱でしかありません。
つまり、データと私との距離が遠すぎるのです。
これが紙媒体なら手にとってページを捲るだけで済みます。
例え、電気が無い状態に陥ったとしても記憶媒体であり同時に再生機器である「本」さえあれば、その場で容易に内容を閲覧することが出来る。
そのデジタルとは違う意味での「手軽さ」が、本という存在がパソコンが普及した今でも無くなりはしない理由ではないでしょうか。
ひさしぶりに訪れたところ、なんとこのサイトの内容が本になっていました。
哲学的な何か、あと科学とか 飲茶 (2006/11/30) 二見書房 この商品の詳細を見る |
内容としてはサイトに載せてあるものとほとんど同一で、わざわざ本で読む必要はないのかも知れませんが、あまり迷うことなく購入してしまいました。
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ウェブのデータをディスクに保存すれば良い話なのにわざわざ本を購入したのは、内容が面白かったことありますが、それ以上にデジタルなデータというものを私が信用していないからです。
もちろん紙媒体も燃えたり痛んだりするのは分かっています。それにデジタルならコピーが簡単だったり、保存スペースを取らないことも分かっているのです。
それでもどうにもデジタルデータを信用することが出来ません。
それはどうもデジタルデータを閲覧するためには、データと私の間にパソコンなどの「再生するための機器」というワンステップが存在するからではないかと思います。
データの入ったCD-ROMを持っていても、それだけでは中身を見ることは出来ません。
またその再生機器を使用するためには電気が必要です。電気という動力が無ければ、パソコンなんてただの箱でしかありません。
つまり、データと私との距離が遠すぎるのです。
これが紙媒体なら手にとってページを捲るだけで済みます。
例え、電気が無い状態に陥ったとしても記憶媒体であり同時に再生機器である「本」さえあれば、その場で容易に内容を閲覧することが出来る。
そのデジタルとは違う意味での「手軽さ」が、本という存在がパソコンが普及した今でも無くなりはしない理由ではないでしょうか。