『迷う』のは『不幸』ではないからだ
- 2005/07/23
- 10:56
ある一定の知能を持つ生物は迷うものである。そして、この地球史上においてもっとも高い知能を持つと自称する人類においてもそれは当てはまる。
私には人類は他の生物以上に『迷い』が大きく、そして数多いように感じられる。
なぜなら人はその知能の高さ故に、選択の結果を他の生物よりも深く推測することが出来るからだ。
複数の選択肢があり、そのどちらかを選ぶ必要性がある時に人はもっとも迷う(もちろん「行動する・しない」と言うのも選択肢の一つに含まれる)。
そして『迷い』とは何らかの『行動した前』に発生することが多い。
時に人は「この選択をして良かったのか」と迷うこともあるが、それは行動自体は起こしているものの、その行動が完遂されておらず結果が見えないからであり『行動した前』だからだ。
「あの時、別の道を選んでいれば」と思うのは『行動した後』の事であり、『後悔』であって『迷い』ではない。
『迷い』が起こるのは、現状にある程度満足しているからであり『行動した後』の結果が不確定だからである。
現状に満足していない人間は、迷う必要はないのである。目の前の可能性に飛び付けば良い。
人は基本的に不幸になりたくないと思っている。今以上に『幸せ』になれなくともよいが、今以上に『不幸』になることは非常に忌避する。
外から見て明らかに不幸であるのに行動しようとしないのは、『行動した後』に『幸せ』になれる確証無く、また今以上に『不幸』にならないという確証もないからである。
そのため人は迷う。人は無意識的に「幸せになる」よりも。「不幸にならない」に重きを置く場合が多いからだ。
たとえ徐々に今よりも『不幸』になっていくのだとしても、その速度が緩慢であれば「自分が行動すること」以外の要因による現状の打破を予測(その可能性が限りなく低いとしても)して今の『不幸』に耐えることが出来るのだ。
そのため人は今が自分にとって『幸せ』でないとしても、『不幸』でない限り出来うる限り現状を守ろうとするものであり、それ故に行動すべきか否か『迷う』のではないだろうか。
私には人類は他の生物以上に『迷い』が大きく、そして数多いように感じられる。
なぜなら人はその知能の高さ故に、選択の結果を他の生物よりも深く推測することが出来るからだ。
複数の選択肢があり、そのどちらかを選ぶ必要性がある時に人はもっとも迷う(もちろん「行動する・しない」と言うのも選択肢の一つに含まれる)。
そして『迷い』とは何らかの『行動した前』に発生することが多い。
時に人は「この選択をして良かったのか」と迷うこともあるが、それは行動自体は起こしているものの、その行動が完遂されておらず結果が見えないからであり『行動した前』だからだ。
「あの時、別の道を選んでいれば」と思うのは『行動した後』の事であり、『後悔』であって『迷い』ではない。
『迷い』が起こるのは、現状にある程度満足しているからであり『行動した後』の結果が不確定だからである。
現状に満足していない人間は、迷う必要はないのである。目の前の可能性に飛び付けば良い。
人は基本的に不幸になりたくないと思っている。今以上に『幸せ』になれなくともよいが、今以上に『不幸』になることは非常に忌避する。
外から見て明らかに不幸であるのに行動しようとしないのは、『行動した後』に『幸せ』になれる確証無く、また今以上に『不幸』にならないという確証もないからである。
そのため人は迷う。人は無意識的に「幸せになる」よりも。「不幸にならない」に重きを置く場合が多いからだ。
たとえ徐々に今よりも『不幸』になっていくのだとしても、その速度が緩慢であれば「自分が行動すること」以外の要因による現状の打破を予測(その可能性が限りなく低いとしても)して今の『不幸』に耐えることが出来るのだ。
そのため人は今が自分にとって『幸せ』でないとしても、『不幸』でない限り出来うる限り現状を守ろうとするものであり、それ故に行動すべきか否か『迷う』のではないだろうか。